このたび私雫有希は本日、3月1日をもちまして、長与千種さんのマーベラスに入団することになりました。
なお乳児院支援を中心とした活動であるきらきら太陽プロジェクトにつきましては今までと変わらない活動をしてまいります。
次回大会は8月の縁日プロレスとなります。
さて、なぜ入団に至ったのか?どういった経緯であったのか?
どこまで書くか悩みましたが、きちんと自分の正直な思いを真摯にここに述べさせていただきたいと思います。
おととし6月、私をずっと育ててくださいました石川雄規選手がカナダに無期限で行かれるということで私は指導者と離ればなれになりました。
しかし、石川さんから頂いた技術をもとに必死に頑張ってまいりました。
この時点でかなりの不安はありましたが、乳児院のためそしてプロレスが大好きである気持ちだけを頼りに何とかやってまいりました。
時には参戦団体が全くなかったり時期もありましたが、それを乗り越え、REINA女子プロレスでタッグ王者になりました。
そしてREINAが団体化するに当たり、入団の打診があり、私といたしましては「腰を据えてしっかり試合を行い、決まった指導者のもとで技術を磨きたい」という希望のもと入団の希望を出しました。
しかし、WNC-REINAは6月を最後に活動停止となりました。
新天地を見つけて、安定の地を手に入れた矢先の出来事でした。
ここで引退試合をやる!!て気持ちで来たものだから、本当は、解散を知った時、大好きな横須賀の海辺で一人泣いていました。
私はあの時朱里とかREINAのみんなをリングでいじめていたからみんなで泣くことはできなかった。
そして、新体制を境に私はまたフリーに戻らざるを得なくなりました。
その時でした。
普段よりタッグを組んでいただいてご指導を賜っておりましたダンプ松本さんがThat`s女子プロレスさんのセコンドに呼んでくださいました。
そしてThat‘s女子プロレスさんに1月より参戦させていただきました。
そこでマーベラスの先輩方に「教えてあげるから練習においで」ととても優しい笑顔で言っていた来ました。
なによりも、きらきら太陽プロジェクトについて長与さんもそしてマーベラスの先輩方も、「いいことをしているんだから、がんばりなさい。」「力になるよ。」と叱咤激励してくださいました。
やはり腰を据えてきちんと試合をしたうえで、きらきら太陽プロジェクトをやりたかった。いい試合をできるうえで、いい興行を作りたい。
私はこの世界に経営者になりたくてやってきたのではありません。
営業のスキルを上げるために来たのではありません。
そして何より私はもっと有名になりたいのです。
私が有名になればもっともっとこの活動は広まる、もっと乳児院にお金を持って行ける、だからプロレスラーとしてまず上に行きたい。
そうなったとき、クラッシュギャルズとして社会現象(表現適切かな?)にもなられたあの長与千種さんのもとでプロレスを学ぶことで一番正しい道であると考えました。
私は「私でよければぜひ入団させてください。」とお願いさせていただきました。
わかっています。
大先輩たちの無言の愛情がもたらした結果なことくらい。
先輩たちは私が悩んでいることを察してくださっていたのかもしれません。
本日よりマーベラス所属として、マーベラスの名前のもとに精一杯務めさせていただきますのでこれからも応援のほどよろしくお願いいたします。
雫有希