人に好かれたい、いい人と思われたい、そう思い、人の意見ばかりに耳を傾け、人の言いなりになろうとしている人は少なくないと思います。
そうやったらいい人になれるのか?
どうやったら好かれるのか?
常に自分自身を「根拠のない他人から押し付けられた完璧主義」におびえ、他人と比較している方は少なくないのではないでしょうか?
私もそうでした。みんなに好かれたくて、いい子だと言われたくて、人の顔色ばかりをうかがっていました。
いい子になれなかった私がいけない。
そうやって心も体も壊しました。
過去最大級の壊れ方。
私は女子プロレスラーとして、善光寺大本願乳児院という親に養育されない子供にプロレスの収益を寄付する活動をしていて、当時は尼僧の卵。そして学歴も上智短大、慶応と悪くない。
優しい言葉は最初だけ、徐々に
「調子に乗るな。」
「もっと謙虚に俺らに頭を下げろ。」
「お寺の子なんだから、こうしろ。」
少しでも対戦選手に噛みつけば「お寺の子のくせに。」
という言葉を浴びせられてきました。
お寺で育ってきたわけじゃない。
無理やりお寺の子になっただけ。
苦しみました。
そのたびに私は「登り調子の時ほど謙虚に腰を低くしないと。」と思い、周りの人間にペコペコ頭を下げて、ニコニコして、人と会えば、その人最大限に褒める言葉言って必死に人に好かれようとしました。
でもやればやるだけ、ふだんの生活での私に対する暴言、風当たりは強くなり、匿名性掲示板の2ちゃんねるやユニビの書き込みは悪化する一方。
家族構成やメールアドレス、学生時代のエピソードまでさらけ出されました。
全部を語りきるのは一回では無理なので、連載系でお話ししていきます。