さて前回の続きです。
いい人になるためにはどうすればいいのだろう?
前回話した通り私はずっと、人にペコペコして、人に過度な褒め言葉を言い、自分の言ったことが相手に不快に思わせてないか?誤解を与えてないか?びくびくしながら「いい人になろう」としてました。
そして、周りもそれを私に「押し付け」ました。
期待じゃない、押し付け。
敢えてそう言います。
今日のブログは人間のそもそもは?という生き物に着目していきます。
ちなみに私は女子プロレス界という超縦社会、超女社会を経験し、尼僧になった一女性としてコメントしてますので、世間一般的な有名な尼僧さんとはかけ離れたことを言います。あしからず。
最近ですと「あなたはプロレスラーとして自分を大きく見せているだけで内面が伴わない。内面を客観的に見つめるべきである。」という意見を頂きました。
SMASHで破格の扱いを受けた時も「メッキははがれるから今に見てろ、実力と破格の扱いは違うんだ。」つまりは実力を磨けと言われました。
一見非常に道徳的で哲学的で宗教的でまさに、正論のように見えます。
いやこれぞまさに正論かもしれない。
じゃあ、この言葉を恋愛に置き換えてみましょう。
ある日好きな人ができた。
その人に好きだと思われたくて、必死にメイクを研究し、可愛く見える服を選ぶ。
美容院にもいくようになって可愛い髪型にしてもらった。
恋愛コラムなんかもよく読んで研究して、彼の好みの女性になるために自分を彼好みにしてみたり。
そして好きな人に好かれるようなメールを考え抜いてメールしてみたり。
こうやって恋する子、とっても微笑ましく、ぜひ恋をかなえてほしいですよね?
でも先ほどの「自分を大きく見せたり良く見せて内容で勝負するべき」という言葉が正論ならば・・・・・
それは自分を良く見せているだけであって、内面を磨いてはいない。内面で勝負していない。
内容で勝負なら髪は生えたいように生やして、部屋着で、化粧もしないで好きな人にアプローチすればいいのでは?
就活だって、面接官に好印象な格好で、面接対策を必死に練って就活に臨むわけで。
本当の自分をさらけ出さないで就職している人はたくさんいます。
こうやってそもそも私たちは日々私生活の中で自分を偽っているのでは?
いや、好きな人に好かれたいという願望のもとでの行動なんだから偽りではないのでは?
一体どっちなのよ!!
人にはONとOFFがある。
ONとOFFがしっかり切り替えられないと切り替えられないで怒られ、ONになれば偽りの内面が磨かれてないと言われ、大変ですよね。
恋愛でうまくいかければ「あなたは彼について何をしているの?」「見た目に気を使ったの?」「彼によく思われるよう努力しているの?」と言われてしまう。
ただ一つ言えることは、
恋愛も就活も「最強人格者決定戦」ではない。
ということだけですね。
そしてそんな恋愛をして結婚をして結ばれた二人から生まれてきたのが私たち人間。
こんな一貫性のない真理のもとに誕生した私たち人間になにを求めるのでしょうか?
簡単に言えば、「恋愛にしたって、就活にしたって、自分をよく見せようとして成功をつかむ。そんな生き方が気に食わないなら、服も化粧も恋愛も就活もいない無人島で生活すればよい、さぞかし住み心地がよいであろう。」ってことです。リーガル・ハイ風に言えば・・・・
これが私がよく言う「人生どぐざれ道」の入り口です。
続く・・・・・