私は本の衝動買いを良くします。
服やアクセサリー、そういったものは衝動買いをしないどころか、また来たときにと思って、また来たときにはもう売りきれているくらいの衝動買いをしない人なのに。
最近読むのは心理学系の本ですね。
ちょっとこの連載ブログの題材にリンクする本を見つけましたので紹介いたします。
『がんばっても報われない本当の理由』
著者 心理カウンセラー 心屋仁之助
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さて、前回のブログで私は
『人から好かれたいために、腰を低く、頭を下げて、相手の気分がよくなるような言葉を選びに選び抜いて人と接していた。しかし、その結果、見下される一方で私をよく言う人はいなくなった。』
という内容をお話しました。
http://ameblo.jp/oteraprowres/entry-11892220418.html
こちら↑
ではまた私が言われたことのある言葉で私もドツボにはまり、苦しみ抜いた言葉を紹介しましょう。
『自分について聞こえがよいことばかり聞かないで、耳が痛いことをきちんと聞きなさい。』
『私のあなたに対する否定的な話しでも耳を傾けでて聞かないと、人から嫌われてしまい、人が誰もいなくなる。』
『きみのことをどうでもよいと思う人はきみに優しい言葉をかけてことなかれに流す。だからきみに否定的な話をする人こそきみのためを思っているんだから言うことを聞きなさい。』
そしてこちらの言葉も一見なんて素晴らしい、哲学的で、道徳的で、啓蒙的なお言葉に聞こえるのでしょう!
これが実現できたら本当に『いい人』になれると思います。完璧!!
私この言葉に頑張って頑張ってついて行こうとして、努力して、みんなの顔をびくびくしながら伺って生活していたらある夜、呼吸が止まって目を見開いているとこを家族に発見されました。
こんな啓蒙的で哲学的で道徳的なお言葉を頂いて、ドツボにはまるのはお前が悪いからだ!
なんて言われたらそれまでですが、少なくともこの現代には私みたいな悩みを持つ人はいるわけで。
ゆえにメンタルヘルス科が今ニーズにあるわけで。
この話、どんな人にも悪く言われない、どんな人の言うことを受け入れ実現できる人は対象にしてません。
あしからず。
しかしこの心屋先生の本や、現代のうつ病、心の病、メンタルケアの専門書には先程述べました道徳的で、哲学的で、啓蒙的なことは書いてない。
むしろ、その大半のカウンセリング本が真逆が書いてあり、心屋先生の本には『がんばらなければうまくいく』という章の中で、上記のような啓蒙的で、哲学的で、宗教的な言葉に従うな、従うことがメンタルヘルスを犯しているという内容が書いてあります。
この時点でわかりませんか?
心理の研究を重ねた専門家のいうことと、一見哲学的で道徳的みにえる発言が見事に真逆なんですよ!
確かに
「カウンセリング本を求めるような人たちのニーズに合わせているんだから、聞こえのいいことしか書いていないのは当然だ。でないと商売にならない。」
と啓蒙的で道徳的な発言をする方はいるでしょう。
でもこの人たちよりはるかに専門的な勉強をしているのはカウンセラーのほうで、あまり嘘ばっかり書いても商売あがったりになりますよね。餅は餅屋ってこと。
で、改めて落ち着いて、着目して見ましょう。
自分に聞こえのいいことばかり、都合のいいように考えているのはどちらでしょうか?「自分の耳が痛い発言を無視しないで聞き入れて自分を改めなさい。」
「私たちの意見を受け入れろ、私の尊敬する○○さんのいうとおりにしなさい。」
こう言った発言をする人たちが正しい根拠というどこだろう?
冷静に探してみたらないはずです。
これは上記のような言葉を言う人間が100%正しいのが前提条件出るのが必須です。
言っておきますが、人間は六法全書でも経典でもありません。
もちろん私だってそうです。
もちろんこういった心理学の先生すらそうです。
もちろん相手に聞こえの良くない発言をする人たちだって同じなのです。
この前異業種交流会をしたブログをあげましたが、
http://ameblo.jp/oteraprowres/entry-11890635900.html
この先輩だって私に聞こえのいい話ばかりはしません。
ただ、ちゃんと目を見て
「●●ちゃん(私の本名)の▲▲ところは控えめにして、■■のところをもっと人にアピールしたらどうかな?」
と言ってくれます。
そういえば受験の時にお世話になった先生が
「聞こえのいいことばかりを真に受けないで、テストの結果と合否の現実だけを見ろ!」
と言ったことがありますが、それはそれで、先生は朝から晩まで私に寄り添って勉強を教えてくれました。
経験上ですが、第一、その人のために本当に苦言を呈する人って、何かあったときその人のことについて体を張って守ってくれる人なんですよ。
ちなみに、こういう宗教的で、啓蒙的で、道徳的な発言を私にしてきた人たちは、会ったことがない人や、2chの書き込みや、仮に知り合いでも、しばらく顔見てあってなくてインターネットで私の活動状況の情報を仕入れている人でした。
さあ、長くなりましたが聞こえの悪いことを受け入れるという道徳的な幻想を見分けましょう。そのうえで、自分を本当に愛してくれている人の苦言を取捨選択してみてはいかがでしょうか。
カウンセリング本、心理学の本を読んでみよう。
意外に私たちの「自分にとって聞こえが悪くても様々な人の意見を聞く。」ということが専門家はメンタルヘルス的に間違いであるという見解を出している。
自分のために体を張ってくれている人の「聞こえが悪い話」を良く聞こう。
人は六法全書でなければ経典でもない、「聞こえが悪い話をする人=100パーセント正しい」わけない。
ではみなさんごきげんよう~(^_^)/