3年前にある浄土宗のお坊さんから言われた言葉。
私はなんのことかわからなかった。
この言葉を最後にその方と私は二度と会話をすることはなくなった。
その言葉をいただいた数ヵ月後にその方は亡くなりました。
まるで私にぴったりの言葉をわかっていたかのように。
これは異端を好めって言う意味じゃありません。
物事をあえてねじ曲げて見たり歪んでみたりしなさいって意味じゃありません。
王道という言葉を『普通』という言葉に置き換えましょう。
確かにルールはあります。
例えば私に例えるなら、団体内で先輩に『ちゃん付けしない、敬語を使う』とかね。
外に出るときは裸じゃいけませんとかね。
(普通先輩には敬語でしょー、普通裸で外歩かないでしょーみたいなニュアンスね。)
世間の普通
『巷の』仏教の普通
例えるとキリがないんだけど一個だけ例を挙げましょう。
普通の家族。
お父さんお母さんがいて、男の子、女の子両方に子どもがいて。
収入が安定していて。
そのまた、子どもも結婚していて男の子、女の子に恵まれている。
そして今の仏教における先祖供養もこの『普通』に乗っ取ったやり方で行われる。
だから結婚して、男の子を生まないと先祖を絶やすことになる。
結婚して、男の子を生まないと名字を引き継ぎ、○○家の墓を絶やすことにやる。
結婚して男の子を生まないと人でない、罰当たり、的な流れになる。
あれあれ?
これって、仏教?救い?
ちがう、これは仏教の名を勝手に名乗った排他的な主義。
いい名前が思い付いた。
『なりすましアカウント仏教』(笑)
つまり、世間や巷の仏教が決めた普通という一部の人を正しいとして
そうじゃない人に手をさしのべない今の世間や今の仏教界のあり方についての警告と
私にはそんな『王道』に騙されるな、目を覚ませ
そして、私にはそんな排他的な仏教の人間になるな、私にはできる
と死ぬ前に言い残してくれたんだと思いました。
そして、みんなが完全完璧な存在で。
みんなが王道で。
みんなが素敵で。
むしろ『異端』なんてないことに気づきなさいと。
その方は教えてくれたのではないでしょうか?
だから今私は自分のことを大切に思えます。
人の幸せは羨みません。
自分の定義した幸せが私を苦しめていたんですね。
I先生、見てますか?
一回死にかけたけど私生きて先生の残した言葉を引き継ぎ広めてます。
ありがとうございます。
この話の続きはそちらで。
ゆっくり時間かけて行きますからね。
猫は雑種でもすべて可愛いのです。
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異端という名の王道を行け!
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