女子プロレスラーの雫有希です(◍•ᴗ•◍)❤170センチ75キロの超大型女子プロレスラー必殺技はデスバレーボムラリアットも得意ですᕙ( • ‿ • )ᕗプロレスを通じて善光寺大本願乳児院に子どもたちを支援するきらきら太陽プロジェクトの一員として奮闘中全国心理業連合会認定プロフェッショナルカウンセラー米国催眠療法協会認定催眠療法士浄土宗教師ベビーシッター等多数資格を保持皆様に夢の世界をお届けできるよう日々頑張っております💖雫有希のマル秘情報配信はこちら⏬今京都にいます。9年前の今日も京都にいました。311東日本大震災を私は経験していない。あの揺れも、何もかも全く経験していないのです。私は9年前の3月10日第1期浄土宗教師養成道場がおわり久々の下界の空気が嬉しくて母と大原三千院を観光し帰ろうとしたその瞬間埼玉からケータイに電話がなった。 関東が地震で大変なことになっている。祖母を一人残して京都にいたわけだが運良く業者さんがいたらしく祖母に付き添ってくれました。何がなんだかわらなくてとにかく京都駅に向かうと駅のモニターにはまるで映画のようなシーンが…気仙沼が反乱しどんどん街が流されているシーンが流れていました。実感がないから尚更何があったかもわからず新聞記者さんたちは地べたに座りパソコンを打つこのときばかりはコンセント泥棒も許されました(笑)私達は早々に諦め、宿泊を探す。帰宅難民にならないようにすぐにホテルに電話をして部屋を抑えました。しかし、京都から東京へ帰ろうとする人たちは【東京行き最終便です】という声に我先にとなだれ込んでいった。。。まるで戦争のときに人が走るように逃げる混沌とした状況でした。 何回も東京まで辿り着く保証はありません。と言われてもなだれ込みました。この状況に混乱してしまったおばあさん(どうやら痴呆の方)が明らかに東京の人じゃないのに東京に行くと隣で行ったため警察に保護してもらったりとにかくホテルに向かえば帰宅難民が溢れていました。奇遇にも今日9年前の3月11日に泊まったホテルに宿泊します。とってから初めて気づきました。あれから9年。本当に早い年月が過ぎました。あっという間でした。震災とは関係ないところで必死に生きてきたような気がします。必死になりすぎて 見落とした部分もあるかもしれません。今日は少しゆっくり夜を過ごし明日の朝にお寺にお参りに行きます。新型コロナウイルスの収束を願います。エンターテイメント業界に(プロレスをエンターテイメントに区分していいかとかは置いておいて)また活気を続きをみる
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